開発教育・ユースへのメッセージ(加藤 英嗣の場合)
【プロフィール】
愛称は「かとうさん」(後列中央)。2003年、DEAR-YOUTHを立ち上げ初代代表に就任。後任のオカトモに代表の席を譲った後も、小学校でのワークショップの機会を作ったり、常にYOUTHを支え続けてくれる「かとうさんの半分はやさしさでできている」伝説のオトコ。
◆YOUTHができたきっかけは?
YOUTHが出来たのは「ノリ」です(笑)。
◆かとうさんってどんな人?
そもそもNGOとかにぜんぜん関心がなくてテニスをするのが楽しかった大学生でした。大学生っぽくバックパック背負って、中国やベトナムを見て回ったり。そこで、夜中に花を売っている子どもたちを見て、「なんでこんなところで花を売っているのかな」、って疑問に思ったりしました。
日本に帰ってきて、インターネットで「ベトナム ボランティア」と検索したら『日本国際ボランティアセンター(JVC)』で、「集まって話し合いをしています」っということを知り、顔出してみました。社会人もいれば大学生もいて、雰囲気が好きになっちゃって。
最初は『UN?世銀ってなんですか?』って感じだったけど、JVCの人たちに聞いたら、ひとつひとつ丁寧に親切に教えてくれてね。その場が心地よく、もっと知りたいと思うようになっていきました。そのうち『自分にできることは何かな?』って考えるようになりました。本当に何も感心がなかった人でも変われることを実感し、自分を変えてくれる場があることを知りました。英語はしゃべれなかったんですが、自分にできること、「先生になりたい」と思っていたので、開発教育へと関心が向かっていきました。
◆DEARとの出会い
『お金を出すだけの国際協力はやってはいけない』っと言う田中先生(DEAR代表理事:立教大学教授)のゼミにDEARのインターンの子が来たんですよ。DEARは今ほど若い人がいなかったし、長く定着する人もいなかった。DEARって結構敷居が高いんですよ。代表理事とかやっている人はみんなすごい人ばかりだけど、入ってみるとみんないい人でした(笑)。
◆YOUTH誕生へ
「入りづらい雰囲気を変えたい」という気持ちと「なにかやってみたい!」っという人たちを繋ぎとめておく「場」が欲しいと思いました。インターンの子たちと一緒に『若者が集まれる場が欲しいよね〜』っと話をしてたら、DEARの人たちに話が伝わり「作ってみたら?」っということになったんですよ(笑)。
全研(開発教育全国研究集会)をきっかけに、ボランティアが集まってYOUTHが結成されました。「もっと研究したい」とか「ワークショップやりたい」って意見をみんなで話し合いました。でも、だんだん「開発教育協会」ということもあり、国際協力について考えたいという人は定着しなかったけど、開発教育をやりたい人が残りワークショップをやりにいったりしました。
◆これからのYOUTHへ
YOUTHは外向きに活動するのも大切だけど、『これからこういった問題に関心を持つんです』っていう人も入れる寛容な場であって欲しいね。
活動するのもつらい時期というのもありました。一人に負担がかかったり、ミーティングも煮詰まって先へ進めなくなったり。みんなで一つのことをやろうとしたからうまく進まなかったのかな。当時は「YOUTHの一員」という意識があまり強くなくて、他のNGOに所属していたり、最初は寄せ集め集団みたいだったんですよ(笑)
でも、YOUTHができたことで期待してくれる人も多くて、ワークショップのお誘いがきたりしました。それでまた悩んで(笑)。今は笑いながらミーティングできるけど、 いろんな人が集まって、いいものをつくりあげっていって欲しいですね。
開発教育・ユースへのメッセージ(岡田 朋子の場合)
◆プロフィール
YOUTHの立ち上げメンバーの一人(愛称:おかとも)。YOUTH誕生から今まで最前線を突っ走ってきた。2004年にかとうさんの後を継ぎ代表に就任。全国各地の開発教育関係者とネットワークを結んできた。「オカトモ」というニックネームはよく「オカモト」と間違えられらしい(笑)。
◆YOUTHができたきっかけは?
2003年8月、立教大学で行われた開発教育全国研究集会に、緒方貞子さん(現JICA理事長)が基調講演をされるということで、学生ボランティアが60人も集まりました。『全国から開発教育に興味を持っている人が集まったのに、このまま解散するのはもったいない!!』っと思って、YOUTH立ち上げのきっかけです。
当時、DEARのボランティアやインターンをしていた8名がYOUTHを立ち上げました。その8人は院生や開発のことをバリバリ勉強している人ばかりだったので、いいものができるのでは!?っと思ってね(笑)。8月の全研のあと、9月に国際協力フェスティバルが迫っていたので、すぐにYOUTHを立ち上げたんですよ。
◆YOUTHを作った理由
今まで若者が集って開発教育を話す場、学ぶ場、実践する場所がなかったから、「場」を作ることを目的にはじめました。学生が多かったんですが、設立当初から参加してくれていた社会人の方が『YOUTHとは初心者という意味がこめられていることを忘れないでね』って。「YOUTH」という言葉に、「初心を忘れない」という意味をこめたんですよ。
DEARには開発教育の入門講座はあるけど、ボランティアさんたちがワイワイ集まる場所がない。タスクチームは専門性が高かったり、高度な場所なので・・・。でも、『何も知らないけど、やりたいんです!』みたいな人が入れるように、敷居の低いYOUTHを目指しました。
実はロゴ、デザインを勉強している友人に「作って!」っとお願いして作ってもらったんです!チラシもパソコンに強い人に「作って!」とお願いして(笑)。
◆敷居の低いYOUTH
DEARに来る前は国際協力をやりたくて、いろいろな団体を回っていたけど、先生とか院生の人が高度な質問をしていて、とても嫌だった。YOUTHを作ろうと集まった人たちも東大の博士課程とか立教の修士課程、早稲田アジア太平洋うんたら、っていうすごい人たちばかりだったけど、すごくフランクだったんです。大学内で国際サークルをやっていたり、外部のボランティアをやりたいと立ち上げに関わる人もいたりとやる気に満ちていたんです。
◆最初の頃は
2003年の9月、国際協力フェスティバルでチラシを配りまくりました。食いつきが良かった(笑)。「こういう場って、なかったよね〜」って感じ。「人間知恵の輪」やったり、ワークショップやったり、話を聞いてくれた人たちに名前とアドレスを書いたてもらってたくさん連絡先を集めました。それが100人分以上も集まったんですよ。
最初は理念がないままスタートしてしまって(苦笑)。立教大学のコモンルーム(20人〜30人)で、DEARのことを紹介したり、ワークショップをやったりしていました。毎回30人くらい人が集まってました。そんな感じで何ヶ月もかけてYOUTHの理念を話し合って、未来の開発教育の担い手になるんだ!ということを確認したんです。理念があればYOUTHの活動がワークショップばっかりになっても、教材づくりに熱中しても、「自分たちは開発教育の担い手なんだ」と原点に戻れますからね。
◆次第に思考転換、そして・・・
立ち上げメンバーが抜けていって、私が実質的な代表になりました。しかし、だんだん人が減って、ワークショップ作りに失敗したりしました。設定した時期・目標を確認したのに、達成できなかったり、一進一退して・・・駄目でした。
そんなとき外部からも学ぼうと考え、ミーティングの進め方を勉強しようと思って中野民夫さんの講座を受けに行きました。全部で10回あって、今日は「コレ」、今日は「アレ」って感じで。最後は朝から晩までワークショップを受けたりと。
◆ラブホテルで一泊♪
2004年の福岡で開催された全国研究集会にYOUTHのメンバーはみんな現地集合で集まりました。私は青春18切符で友達の家を転々と(笑)。広島に入った日がちょうど8月6日。ホテルはどこも埋まっていて、ラブホしか泊まるところがなくて(笑)。
その後、正式に代表に就任。その翌年は「持続可能な開発のための教育 (ESD)」が始まり、いろんな団体がESDを言っていたけど、結局ESDってこうだ!って言えなかったから、YOUTHの考えたESDをつくるため、合宿で話し合いました。
◆YOUTHのESD
YOUTHのESDを言葉にしてみよう、っと合宿当日もすごい話し合いました。YOUTHは毎年メンバーが入れ替わっていく団体だから、新しい人たちにも自分たちの言葉でESDを説明してほしいと考え、毎年変えられるようなESDをつくったんです。それが「YOUTHの考えるESD」です。
ESDを考えたんだから、8月の全国研究集会でもESDのワークショップをやろう!って。ちょうど合宿の前に「まちづくり」 のワークショップを作ってくれと頼まれていて。実際のまちの地図を使って、公園をつくってみようとか、電車を置こう、商店街を作ろうという感じのワークショップで、既存のまちに理想のまちを重ねるという形になってしまったんですね。だから、リアルで持続可能というキーワードを入れたまちづくりワークショップを作ろうということになったんです。
DEAR-YOUTHメンバー募集中!
◆一緒に活動していくメンバーを募集中♪
DEAR-YOUTHでは、いっしょに開発教育を学び、実践していくメンバーを大募集しています。 「開発教育」の敷居を低くし、学生にも社会人にも気軽に来てもらえる“場”であることを目指しています。「お問い合せフォーム」から、お気軽にお問い合わせください♪